国の成り立ちを忘れてはなりませぬぞ

このカテゴリーの記事は、
上島嘉郎先生の
ライズ・アップ・ジャパンを
聞いてのボクの感想です。
必ずボクの愚意が加味されてしっていますので
この記事の内容については
上島先生に責任のないことをご理解ください。

 

『平成最後の皇室論争2』
~昭和天皇の生き様

前半は日本の特殊性ですね。

上島先生は特定の師を持たないと

言われておりますが、

特に影響を受けた師として

よく渡部昇一さんのお話をされます。

 

渡部昇一さんがギリシャに寄ったとき

(たぶんまだ若い時代です)

ポセイドン神殿を尋ねたそうなんですね。

神殿とはいえ廃墟である、と。

その足で日本では金華山を訪れます。

神社がありますね。

これ、現役でやってるわけです。

このスゴサに気づいたというんです。

 

ギリシャ神話と日本の神話は

構成が似ている。と、

しかし、ギリシャ神話に出てきた神様の子孫がいますか?

今のギリシャ人は、昔のギリシャ人と同じですか?

何度も断絶があり、

神殿を守る子孫もいない。

 

エジプトだって、

ピラミッド造った人たちの子孫じゃないでしょ。

 

日本は、ずうっと日本で、

ずうっと神社を守ってきたわけです。

途切れてたら、日本のことですから

石じゃないですから、朽ち果ててますよ。

それが、現役の神社がある。

これはとんでもないことですよね。

 

 

さて、昭和天皇です。

昭和天皇の頃は学習院がまともでした。

そのときの学習院の院長は乃木希典。

昭和天皇は乃木さんの訓育を受けて育ったのです。

 

乃木さんといえば水師営の会見

これ、説明する必要ある?

さらっといっときますか。

旅順要塞を落とした乃木さんは

会見に訪れるステッセルを武士道で迎えました。

ステッセルに対しては帯剣を許し、

報道のカメラに対しては許可しませんでした。

朝日新聞のカメラマンみたいなのがいたら

叩き切られていたでしょうね。

「会見が終わって友になってからならば」と

有名な写真が残っていますね。

 

勝者になってもおごらず、敗者をいたわる

昭和天皇はこのように乃木さんから帝王学を学びました。

 

皇太子となってから、

第一次大戦後のヨーロッパを視察します。

ドイツは戦勝国からひどい報復を受けました。

「どうしてあんな敵討ちめいたことをするか。

勝つとああいう気持ちになるのか。それとも、

国民が、ああせねば承知せぬのか。

ああいうやり方のために、

結局戦争は絶えぬのではないか」

乃木さんを尊敬し、

その教えを基準に生きる昭和天皇のお言葉です。

 

 

海軍反省会の中でも

陛下(昭和天皇)はお優しいから。と、

やや批判的な言い方をする

元中佐大佐の発言があります。

では、昭和天皇はひたすら優しい。

観念的な平和主義者だったのでしょうか?

昭和天皇は乃木さんから帝王学を学んだのです。

 

上島先生はこう述べられています。

原爆を落とされ、ソ連も攻めてきて

もう戦えないと観念して

ポツダム宣言を受け入れたのか。

それは、ノーである。

昭和天皇はアメリカのラジオ放送を聞いており、

条件降伏を促すものであると判断し、

国体が維持されるものとよみ、

ポツダム宣言を受け入れることを決意した。

 

8月12日に皇室会議が開かれています。

このとき朝香宮が質問しているそうです。

「国体護持し得ぬのなら戦いつづけますか」

「もちろんである」

 

いったん戦闘はやめるが、勝敗が決したわけではない。

だから、耐えがたきを耐え、復興に励め!なのだ。

上島先生はその根拠を

年の明けた昭和21年の御製に求めます。

 

降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ

松ぞ雄々しき 人もかくあれ

 

 

日本は、神の世界を実現するという

使命をもって国を始めました。

この戦いは、まだ勝敗がついていないのです。

 

奪い合う世の中で勝ち残りを目指す勢力と

助け合う世の中の実現を目指す勢力との戦いです。


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