なぜ、今、随神か?

財務省こそ日本のディープステイトだ。
なんて、おもしろいこと言ってる人がいました。

財務省には
「我ら富士山他は並びの山」
などといった思い上がった考えがあるようです。
そして、己の天下り先確保のために手柄を競っているようです。

己は明らかに私です。
しかし、もし自身の出世は省みず、
ただ省益のために身を粉にして働いたのなら
公に殉じたことになるのでしょうか。

国家公務員は国のために働くものであり、
省のために働くものではありません。
省益のために働くのは小さな和の心ですね、
セクショナリズム。
これは祓わなければならない心です。

良心は誰もが持っています。
ただ、ちっょとその良心の発したシグナルを
受信できなくなった人が多いようです。
こびりついちゃって、
祓っただけじゃ落ちないんですね。
ゴシゴシこすってやる必要がある。
ゴシゴシこすって磨き上げるためには、道具が必要ですね。

いい道具があるんです。
『教育勅語』
これは、明治になって新しいものをたくさん取り入れたとき、
昔がよかった。なんて言う人も出てきて、
新旧どっちに従ったらいいんだろうって
日本人が迷っていたときに、
明治天皇が
「新しいとか古いじゃなくて、変わらないものがあるだろ」
といってお示しになった勅語です。

戦後の占領時に、
GHQに刷り込まれた自虐史観によって
自信を失った日本人には、
もってこいの道具ではないかと思います。

 

次からは、
この「教育勅語」を子供用に解説したと思われる
『教育勅語画解(きょういくちょくごえとき)』
という冊子を紹介していきたいと思います。


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