かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂

さて、ここで

「日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」ですが、

あっ、その前に、ボクの考え方ですね。

人間っていうのは何か。

他所の人のいう神様ってのは、

日本でいう神様っていうのとは違うのかもしれませんけど、

ボクは【生命のエネルギー】と呼んでいます。

生命のエネルギーという大きな流れがあるわけですが、

これ、人間にも、犬にも、蛙にも、花にも流れています。

 

日本人っていうのは、

なんだか、ずいぶん「幼稚」なところがありますね。

まぁ、これもボク独自の言い方かもしれませんが、

ボクは、この「幼稚さ」を大切にすべきだと思っています。

言葉を変えますと、機械的な人間でなく

情緒を大切にするというか、

幼稚という表現の部分で言いますと、

情に流されるって言いますかね。

ボクは、これを【人間がナマの部分】

という言い方をする場合もあります。

このナマの部分が、

生命の持っているエネルギー、方向性、流れです。

 

余計なことかもしれませんが、

すでに寄り道になっていますが、さらに一言。

【人間のナマの部分】を欲望ととらえる方が

いらっしゃるかもしれませんが、

人間の欲望は生物の欲求でして、

生命の欲求、方向性、流れとは同一ではありません。

同じだったり、ズレたりします。

 

【人間のナマの部分】を説明するのに

一般的にも使われている言葉の中で選びますと

「人間も自然の一部」って言葉なんてどうでしょう。

キリスト教の人は、自然に対して挑むって印象があります。

日本では、自然との共存といいますか、

自然様に従い、お祈りする印象です。

こういう話をすると、

進まないのに止まらないという状況にはまります。

先を急ぐことにしましょう。

 

なんか、こういう話の進め方は

日本が選ばれた民族みたいに聞こえそうでイヤなんですが、

選ばれたわけじゃないんです。

「生命の流れ」にかなった歩みを続けてきたから

残った、というのが正しいと思います。

ここで、最初の言葉に戻ります。

 

「歴史的役割を果たすべく運命づけられ」たかのように

映るのは、日本のとった行動が、

生命の流れにかなったものだったということなんです。

生命の流れは、弱い者イジメは嫌いです。

植民地主義も、奴隷制も、弱い者イジメですよね。

日本は「アジア解放」を唱えていましたけど、

あれは、苦し紛れの帰結のようなものです。

なぜ、こんなことを言うかといいますと、

理路整然と、アジア解放のために立ち上がるのなら

もっと、順を追った効果的なやり方を模索したと思うんです。

はたして、そうでしたでしょうか。

 

ボクは、

「なんか、ちがーう」

「まちがってる!」

「我慢ならない」といった

そういう、いろんな【幼稚】な感情が

一つの方向に向かったんだと思うんです。

たぶん、日本のペースでやらせてもらったら

もうちょっと、うまくいったんです。

でも、主導権は欧米にありました。

白人たちが、

イニシアチブを持っているものと誤解していたんです。

誤解するに十分なほどに

力を持っていた時期が長かった。

 

日本には、生命の流れに従う心が残っていますから

これをこうしたらこうなるとか、

頭で考えて不利なことでも

心の奥底からの強い衝動に

背中を押されるような形で突き動かされちっゃたんです。

こういうのを論理的に説明しろっていうことの方が

新たな誤解を生ずる元でして

日本は、ただ、見本を見せたのです。

日本は、心に、生命の流れに、従ったまでなんです。

大和魂(やまとのこころ)は、

大きな和(生命の流れ)の心です。


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