磨く、癒す、祓う

ボクは、センサーを磨け、

ほこりを払えって言い方を

昔から使ってるもんだから、

つい、そこへつなげちゃったんだけど、

こういう言い方の方がいいかな。

繁殖するようなバイ菌は

払っておかないといけないけど、

ゴシゴシ磨いたり補修したり、

【建前】を上塗りしたりしなくても

自浄作用がありますから

傷が癒えるのを待てばいいんですよね。

ただねぇ、これが待てないんでしょうな。

かゆくなったりして、かいちゃうんだろうね。

癒える。自浄作用。

ここ、はっきり理解した方がいいです。

余計なことはしなくていいんです。

でも、何もしないわけじゃない。

作用ですから、何かが起きてるわけです。

癒えるってことは、変化があるんです。

 

ボクは、この癒える過程、自浄の過程を

ジャマするようなことを

しちゃってる人が多いんじゃないかと睨んでいます。

良心の叫びを聞かないフリをする、とかね。

ボクはね、考える時間がなさすぎるんだと思うんです。

覚えることばっかしで忙しすぎる。

覚えることというと学校の勉強の印象ですが、

学校に上がる前の遊びの中で

ボクの子供のころ、ちょっとした変化がありました。

ボクが幼い頃っていうのは、

地面に線を引いて、石を投げたりという遊びでした。

これ、ルールが決まってるんですけど、

遊ぶメンバーによって

みんなが楽しめるように

ハンデを与える目的で

ちょっとルールを変えたりもするんです。

もちろんお互いの思惑がありますから

さらに、「こうしよう」みたいなことが

遊びながら提案されては変わっていくわけです。

その時にリーダーになる子は

腕力の強い子ではなく公平な子です。

腕力が強いだけの子は

いずれハジかれちゃうんです。

こういう経験って、すごく大切だと思いますね。

大切っていうか、いい体験じゃないかな、と。

それがね、ボクが中学に上がるころになると、

決まりのある

スポーツみたいなものになってきたんです。

今で言うとどうでしょう。

たとえば、ゲームなんてのはどうなんでしょうか。

使用する子の側に

工夫を凝らす余地はあるんでしょうか。

 

なんか、話が違う方向に向かっているようです。

ルールを覚えて、それに従って楽しむ。

自分たちでルールを考えて遊ぶ。

この差が、なんとなく

今の学校教育とダブッちゃったのよね~

 

癒すときって、なにしてるんですか?

安静にしてるんですよね。

忙しくしてちゃダメ。

傷が癒えないのに、

さらに情報を求めるようなことはしない方がいいですね。

これすると、さらに悪化する可能性が高いです。

自分にとって都合のいい情報ばかりを

無意識(?)のうちに集めてしまっていることが多い。

ここでいう安静にするというのは、

心のままに、ということです。

良心の声を聴くということですね。

神道ではこれを

「祓う」といっているようです。

人間なんだから

欠けた人間なんだから、

ほこりがつくのが当たり前、

それを隠そうとせず、

素直に認め、それを祓う。

これを繰り返しなさい。と、

まぁ、こんなところでしょうか。

 

 

さて、ここで、入ってくる情報。

刺激の方に目を向けてみたいんですが、

刺激には、いい刺激とよくない刺激があります。

【良心】が心地よい刺激は傷がつかないわけです。

そして、また、刺激が全くないということは

成長をうながさないという言い方もできます。

傷ついたら癒す。

傷つかない刺激はたくさん得た方がいい。

こういう話になりそうですね。

これはどういうことかといいますと、

いきなり掛け算や割り算をやらせないで、

足し算、そして引き算に慣れてから

そして、まず第一は数字を覚えましょうということです。

余計わかりにくくなったかもしれませんが、

まず、基礎ですね。

基礎ができてから応用を教えましょう。と、

ボクは、基礎として

教育勅語を教えたらいいと思っています。

基礎がないままに

妙なことを吹き込むもんだから

ヘンテコな人間が育つんです。

 

さて、癒す工程のお話もしておきましょうか。

傷を癒すには、

傷をつけた情報を吟味する必要があります。

【良心】が受け入れない情報に対して

ごまかされないようにする。

【良心】は、拒否しません。

ただ、信号として、「なぜ?」と問います。

【良心】が納得するまで考えることですね。

 

さて、【良心】というのは、

【本音】とは、また違うのでしょうか?