Inoshishi-mura cine

(娯)

私と映画

私はビデオを見ませんでした。
 

よく、映画通って感じの人で劇場で見なきゃ。って言う人がいますね。
 
私も劇場でしか見なかったんですけど、その理由がなかなか見つからなかった。
 
物理的に不可能である、ということはあります。
 
私はテレビを持っていなかったんです。
 
でも、必ずしもその理由だけでビデオを見たことがない、というものではないな。

という思いがあり、ナゼだろうと自問自答を繰り返しておりました。
 
 
迫力が違う?確かに違うかもしれませんが、

最近ではずい分大きな画面のテレビがあると聞きますし、

音なんかもスゴイらしいですよね。
 
自分の中では、
 
やはり、見ず知らずの人たちと一緒に笑うという喜びがあるからではないか。

などと無理やり理由をひねりだしていたころもありましたが、それもどうかな。
 
最近になって、やっと、これかな。と、思えるものが見つかりました。
 
どうもその、レンタルビデオを見るという行為がイヤだったみたいね。

でも、ずうっと映画を観られない時期がありました。

その後はレンタルビデオを借りたりもしましたが、

基本的に時間がありませんから、

しばらく、映画そのものから遠ざかっていました。



しかし、復活させます。

まだまだ昔ほど時間にゆとりなんてないんですけど、

チョット、企んでることがありましてね。

2006.12.31≪硫黄島からの手紙≫

これを機に、また、映画っていうものに触れ合っていこう。と思っています。


 

私の好きなのはハッピーエンドの映画ですね。
 
でも、じんわりとくるのはちょっとイメージが落ちます。
 
自分なりに考えてみますと、
 
どうも、そのハッピーが祝福されて終わる。というものがいいようです。

 
私が映画を見始めた頃のもので言うと『勝利への脱出』

少し下って『クロコダイル・ダンディー』

一番よく見ていたころのものに『いつか晴れた日に』があります。
 
最後に記憶にあるものというと『ビューティフル』ですね。

その他にもお薦めしたい映画はたくさんあります。
 

私は劇場派ということになるんでしょうが、

それを超えて純粋に映画ファンです。

映画ファンになっていただくための入り口は

劇場であるということより、いい映画であるということの方が大切ですよね。
 
 
芸術っていうのは、受け手がそれぞれ感じたらいい。

これが、かなり強固で高貴だとされる論ですが、私は答えは一つ論者です。

作者がそれを意図したかどうかは別です。

が、認められたとしたら、それは何か、これには明確な理由がある。

それは掘り下げれば一つになる。こんな論です。

一般論は、掘り下げなくてもいいじゃないか、だと思います。

(娯)としたのは、それもそうだな、そんな思いからです。

それでも、書いているのは答えは一つ論者の私ですし、

イノシシ村の発祥もそこにありますので、

多少の主張はお見逃しください。

 

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