I-shingakujuku/kaikou-2000

<異能志士村心学塾>

どうも御上の指導する教育というものはモノ覚え競争でしかないのではないかと思い、もっと本質がわかるようなものの考え方を身につけて、経済学学者・哲学学者・政治屋・宗教屋のうさん臭さに気づける人間になってもらおうと、おのれの世間知らずもそっちのけで月に一度ああだこおだと言い合う機会をつくろうなどと考え、始めたものです。

このページは2000年に台東区浅草にて、行われたものになります。
興味のある方は、こちらからご連絡ください。⇒お問い合わせ


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  異能志士村会講実況



  2000年2月20日

講師「どうもみんな意味が分かってないんじゃないかって気がするんだが

“備えあれば憂い無し”ということば、どういう意味だと思ってる?」

生徒A「ええ〜と」

「カッコつけなくていいから、思ってることをそのまま言え」

「ハイ、いざというときのためにィ、準備をしておくことでぇ、

その、状況になったときに困らないようにする。っていうような」

「いいねえ、オマエは。期待通りの答えを言ってくれる。

どうもみんなそう思ってるんじゃないかって思って、今回はこれを取り上げた。

それって、準備さえしておけば結果はオッケーだよ。って意味だろ。

じゃぁ、この憂い無しってのは失敗は無しって意味か?」

「いや、ええッと、いや、憂いって・・・憂いっていうのは、

いろいろ思い出して、あぁ、とか。ンン〜とかそういう」

「反省するってことか?ちょっと違うな。

どっちかっていうと過去を振り返るっていうよりも先のことを思いわずらうってことだな」

「あっ、そういう感じです」

「もしも準備万端なら結果はオッケーって意味なら、備えをしなさい。だけでいいんじゃないのか?

その後ろに憂い無しってコトバが付いてるんだから、これはどういう意味なんだって考えなきゃいけない。

このことわざのポイントは憂い無しのほうなんだよ。

いいかぁ、ことに当たるときに憂いを持っちゃいけないんだよ。

気にかかることがあったんじゃ集中力を欠くだろ?

だからこれは、憂いを持たないためには準備を怠りなさんなよ。って意味なんだよ」

「ハイ、分かりました」

「ホントに分かったのか?だから備えをしたからって成功するとは限らないんだぞ。

あくまでも全力を出し切るためには憂いをなくせ。

そのためには考えうる状況に対処できるように備えておけ。って意味だぞ。結果は保証してねえんだぞ」

「ハイ」

「現代人はいろんな保険に入ってるけど、それは保険に入ったから事故に合わないとか、

病気にならないとか、死なないってことじゃないだろ」

「あっ、ハイ!」

「コノヤロー、今やっとホントに分かったって顔しやがったな。

わかんねえのに分かったなんて言うなよ。物事をほんとうに理解するための会講なんだぞ。

学校のお勉強とは違うんだからな」

「いや、だいたい分かってたんですけど、今の保険の話がわかりやすかったなって。

最初にそう言ってもらえれば・・・」

「ンだとッ、コノヤロー。だからテメエたちは文部省の教育に犯されてるって言うんだよ。

なんでそうやって答えだけを早急に求めるんだ。

あれ?憂いってなんだろう、とか。いろいろ考えることが大切なんだよ。

そういう訓練をすることでものごとの本質ってものが見えてくるんじゃねえか。オメエ、わかってんのかッ」


 どうもこの先生はキレやすいタイプのようですね



  4月23日

講師「今週は宿題を出す。茶色ってあるよな。この茶色の茶ってのは外来語か?」

生徒A「?」

「だいたい、色なんてのは身近なものをたとえる場合が多いな。

日本なら柿色だとか橙色なんて言うが、英語圏ならオレンジ色だろ」

「だいだいってなんですか」

「オマエは、話の腰を折るような質問をするねぇ。

まぁ、知らないまま過ごすことよりは断然いいな。

橙って知らないのか?正月のモチの上に乗っけるやつだよ」

「あぁ、ミカンみたいな、葉っぱのついた」

「葉っぱのあるなしは関係ないだろ。

まぁ、正確にはわかってないかもしれないが、日本のカンキツ系のひとつだな。

で、どこまで話したっけ?オレンジか、で、だ。日本茶といえば、緑茶だよな。葉っぱは緑。

お茶の色は強いて言えば黄色だよな。茶色のお茶となると」

「ウーロン茶ですか」

「そうだけど、おまえは変なとこで先回りするね。

まあいいや。ということは、だ。中国語が入ってきたころに茶色という言葉も入ってきたっていうことなのか。

それとも、昔は日本も緑茶はあまり出回ってなくて、一般にはウーロン系を飲んでたってことなのか。

その辺もひっくるめて、茶色の語源を調べてこい」

「そういえば、あの、抹茶の粉って、どうしてあんな色してるんですかね」

「あんなって、葉っぱの色だろ。ありゃ、葉っぱを粉にしたんじゃねえのか」

「いや、でも、あれ、キレイですよ。葉っぱの色ってもっと濃いじゃないですか」

「そうだよなぁ、牛乳でも入れてんじゃねえのか」

「いや、それはないでしょう」

「あるわけねえだろ。なんでだろうなぁ」

  
―中略―

「葉っぱの裏ってあんな色だよな」

「えぇ、いや、でも、裏だけ使うわけじゃ・・・」

「だ・か・ら。太陽浴びてないとあんな色なんだろ。

新芽をつむんだから、表もあんな色なんじゃねえのか」

「いや、でも、あの色は・・・」

「バッカだなぁ、オマエは。そういうことも全部ひっくるめて調べていくんだよ。

ひとつのことを本当に深く追求していくと、ほかの知識も必要なにってくるんだよ。

そうやっていろんな知識がつながってきて本当のことがわかってくるんだよ。

いいか、次回、自分の納得のいくところまで調べてこいよ。

それで、もし、納得いくところまでいかなかったら、

ここまで調べたけど、自分はここのところがまだ納得いかないから再度追求してみます。

と、中間報告をするように。いいな」

「ハイ」


 今回は無事終わったようですね。


  5月21日

生徒A「ちょっと納得のいくまでは調べられなかったんですよねぇ」

講師「人に聞かれる前から言い訳するんじゃねえよ。

どこが、どう納得がいかねえのか、それを報告したらいいんだからよ。まぁ、いいからやれ」

「どうもお茶っていうのは中国では2種類の漢字があるみたいなんですよ。

日本語と同じ茶っていうのはどうもチャって発音でいいみたいなんですけどぉ、

もうひとつつくりの横棒が2本のヤツがあるみたいで、これはテって発音するみたいなんですよね。

で、チャのほうは広東省らしくて陸路で伝わったらしくて、

テのほうは海路で伝わってるらしいんです。こっちは福建省なんですけど」

生徒B「そのテってのは英語のティーってことだ」

「スペイン語ではそのままテだな。でそのチャのほうが日本に伝わったってことか。

でも、そのぐらいの漢字の違いだったら地方の違いで同じだってことはないのか?

読み方は地区によって全然違うんだろ?」

「いや、それはちょっと、中国人の知り合いがいないんで」

「そんなの夜中の池袋歩いてりゃ向こうから話しかけてくるぞ。

マッサージ、いかがですか。気持ちいいよ。とか言ってな」

「ハハハッ、おおいんですか」

「きのうは熱心なコでな、もうしがみついちゃって離れねえんだよ。

日本人じゃないなって思って、どこからきたのって聞いたら、中国だって。

中国のどこだって聞いたら広東省って言ってたぞ。そのコに聞いてみりゃどうだ」

「いや、それは」

「それはなんだよ。あのコたちは呼び込みやって稼いでるけど、

かなり優秀なコたちのはずだぞ。場合によっちゃ、お茶の講義ができるぐらいのコかもしんないじゃないか」

「まぁ、先生、Aの話を聞きましょう」

「そうだな、それで?」

「いや、そんな感じで、あと、お茶の原産地はインドらしいですね」

「なんだ、茶色じゃなくてお茶の話か」

「お茶っていうか、薬用としてなんかを煎じて飲むっていうのは

ネアンデルタールとかクロマニョンのころからあったみたいですね」

「あっそぉ」

「なんか、その、湯で煮て濾して、みたいな」

「その沸かすってなんで沸かすんだぁ、その頃って鉄とかってないだろ?」

「ないですね。確かぁ。獣の骨とかでよさそうなのを使ってたとかって、

あと、その頃は多少加工してたみいですね。加工用の石とか持ってて」

「おぉ、そうかぁ。オマエそういうの詳しいの?オレ、興味あるんだよねぇ。

人類はアフリカから誕生したとかって言うじゃん。

あれって、説じゃなくてほぼみんなが納得してる事実なの?」

「どうッすかねぇ。反対の人もいるかもしんないっすけど、まあ、けっこう」

「オレはねぇ。アフリカで誕生したとしたら人類は、たぶん、太陽から逃げたんだと思うよ。

暑いから。それで北へ上がったヤツらは洞窟とかに入ってたからだんだん色が落ちて白くなったんだと思うんだよな。

そうやって移動したヤツらはチャレンジャーだから文明が生まれるわけ、

残ったヤツらってのはその生活を愛してるからその繰り返しを望んだわけだろ。

だから文明側の言葉で言うと未開のままなんだよ」

「はあ」

「納得するなよ。これはオレがかってに思いこんでるだけで、真実であるかどうかは別の話だぞ」

「ハイ。で、それでだんだん文明が発達していったとしたら、南アメリカが最後になるわけで、

そこが1番発達してなきゃおかしいですよね」

「おっまえは、本ト、笑えないぐらいバカだね。

おまえ日本が中心にある世界地図しか見たことないんだろ。

地球儀ほしいなぁ、地球儀

―先生、壁にある世界地図をはがして、筒状に丸め始める―

アフリカとラテンアメリカはこんなに近いんだよ。これ、こんなんだよ。こんな」

「あぁ、ちッかいんですねぇ。そうかぁ」

「それに遠くへ行っただけ文明が発達するって公式はないだろ。

のほほ〜〜んと暮らしてられるとこでは文明は発達しにくいよ。その場で満足しちゃえるんだからな。

どっちかっていうと、隣り同士、いがみ合ってるようなとこの方が伸びるわな。

あと、言葉も違う。知り合いとしか話さないような社会では、動詞はあんまり必要ない。

だから日本語なんて動詞は最後だし、それもあんまりハッキリさせないだろ」

「えぇ、まぁ」

「それで分かれ、と」

「そうだ。ところが、いろんなヤツらが出入りするところでは何をしたいのか、

これが大事になるから動詞が先にくるんだよ」

「英語はそうですよねぇ」

「中国語もそうだろ。レ点とか打って戻って読んだりするのは、

ありゃ動詞が先に来てるからだろ」

「そうかぁ」

「だからヨーロッパの言葉は動詞が先にくるが、アジアはほとんどが動詞は後だろ。

インドも日本語と語順が同じだろ?」

「あぁ、そうでしたねぇ」

「タイもそうだし、ミャンマーもそうだ。韓国もそう。アジアでは中国だけが異色なんだよ。

あそこは三国志の時代は今のアメリカみたいなもんだったんだろ」

「中国は単一民族なんじゃないんですか?」

「全然違う」

「あれ、なんだっけ、呂布か、ありゃ、目、青かったんだろ?」

「えぇ、奴隷とかもあったんですよ」

「あの、韓国のハングルっていいましたっけ、あの文字もずいぶん変わってますよねぇ。

インドとかタイとかアラブとかは、僕らから見たら似てるように見えるけど」

「ありゃ、わざわざ作った文字だろ。文字としてはずいぶん新しいはずだぜ」

客分C「1600年ごろだったと思いますよ」

「そうですか、思ったより古いけど、やっぱ文字としては新しいわな」

「同じゼミに韓国の子とかいるんですけどね。あれ、ケッコー覚えたらカンタンらしいですね」

「発音記号だろ」

「えぇ、こんなとか、こんなとかで、こんな感じでこれを合わせて、こうとか・・・」


 今回、どうも話はまとまらず、いろんな方向に伸びていってしまっているようです。


「そろそろ帰れよッ」

「えぇ、あぁ、そうですね」

「じゃあ、Aはさらに茶を追ってくれ、

茶色の語源が知りたかったんだが、興味のあることを追っていったらいいから。

あと、Bは人類の起源というか、今確認されてる人類であろうと思われる骨の出所と年代、

これをおおざっぱでもいいから調べておいてくれ」


 
先生の興味のあることを生徒から教わる。ずいぶんと変わった塾ですね。



  7月16日

生徒A「いやぁ〜気が重くて」

講師「なんだよ、またいいわけか」

「いや、全然できてないんですよ」

「ナンだとォ、先月やらなかったんだから2ヶ月あったわけだろ。

それでなんでなにも調べてないんだよ」


 
きなり説教が始まってしまったようです。

 なんでも、試験のほかに、授業の中で発表することになったようで、

 その資料集め等、やるべきことが多く、お茶については調べていられなかったようです。

 ただし、それは先々週の話、しかもそれに費やした日時はその週だけ、試験は先週の話しのようです。


「なんで、それがあるならそれで、その前にやっておかないんだよ。

逆算したら、おのずといつまでにやらなきゃって分かるだろ。

備えあれば憂いなし。全然身についてないな。

やるべきことをやっとかないから、あぁ、なんにも調べてないなぁ、今月もなくならないかなぁ、

とか、憂えなきゃならなくなるんじゃねえか。Cさん、こういうヤツ、どう思います?

それとも、こういうヤツばっかりなのかなぁ」

客分C「いやぁ、そんなことはないと思うけど・・・」

 ―あきれるC氏―

「で、なんだよ。それ、なにを発表したんだよ」

「あの、僕らは、その、なぜソニーのウォークマンは売れたのか、ということを時代背景とか、

企業戦略とかを考えて・・・でも、それが失敗したんですよ。

自分たちの持ち時間とかも知らないで、まぁ、20分ぐらいでいいだろうって、

とりあえず僕がいろんなその時代の説明とかをして、

そのあともう一人が結論をしゃべるっていう形でいこうってことにしてたんですけどぉ。

まだ、ボクの話が3分の1も進んでないのに、教授が、じゃ、そろそろまとめてもらおうか。なんて言って、

もう、どうしようかって、もう一人に目配せしたら、いいからそのままいっちゃえって。

それで、そのままやったんですけど、それでも、だいぶハショッてやったんですよねぇ」

「そおか、そりゃ不完全燃焼だろ。よしッ、今日はそれをやれッ」

「えッ?あっ、それでいいですか?」

「いいからやれ、ところで、なんでソニーのウォークマンなの?」

「いや、あの、ソノ、じゃなくてソニーとか松下とかゼブラとかいろいろあって、

それで、その、僕らはソニーでいこう、と。

ウォークマンは二人で勝手に決めたんですけど・・・」

「で、なんだ」

「まず、その、ウォークマンなんですけど、

1979年の7月に売るってことで開発を進めたらしいんですよ。

対象は19〜24歳の若者で、その当時で800万弱の人口だったらしいんです。

で、そのころの大学生の初任給が10万ぐらいだったそうで、

その3分の1ってことで価格設定をして、ボーナスで買ってもらおうと。

ところが、3万台つくって、7月は300台しか売れなかったらしいんですよ。

それで、社員が聞きながら通勤したりとか」

「まぁ、それはいいけど、なんで、そんなもんを造ったの」

「えぇ、その時代っていうのが、核家族化が始まった時代なんですよ。

カギっ子とか、その前まではテレビなんかも一家に1台で、

そのチャンネル権もお父さんが持っててみたいな、古い家庭環境ですよね。

それは家族でありつつも公的な空間だったわけですよ。個ではなかった。

それが、家に帰っても親がいなくて一人で過ごすって環境なわけで、

そういった個の私的な空間を、たとえば電車の中でも作ることができるのがウォークマンだったわけです」

姐御D「特殊空間という意味でいけば、ディズニーランド。あれはケッサクでしょ」

Dの妹分E「先生ディズニーなんて行ったことないでしょ」

「いや、入口は見たことあるよ。あそこの駅に降りたことがある」

「入らなきゃ」

「ああいうの、どこがいいのかねぇ。

あんなの花やしき
―会講は浅草で行われています―といっしょだろ」

「ナニヲォ!花やしきなんかと較べないでくれる!

花やしきなんか、デパートの屋上の遊園地に毛が生えたようなもんでしょ」

「それに草が生えたのがディズニーだろ」

「なに言ってんのあそこは別世界なの、非日常の空間が演出されてるわけ」

  ―ディズニーの話、延々と続く―

「なぁ、ところでなんでディズニーなの、ウォークマン、どうなっちゃったの」

「いいの!今度一回連れてってあげるよ」

「オレはいい。オレはねぇ、あのジェットコースターとか、

なんでわざわざ恐い思いするために乗らなきゃいけないのか信じらんないの。

あれ、なんだっけ、バンブージャンプ?」

「バンジー」

「それ、あれもわかんねえよなぁ」


 
ウォークマンの話にはならず、オロオロする生徒A。

 ジツはAもディズニー・バンジーに興味があるのだが、立場上発言しづらいようです。

 しかしディズニー方面の話は終わりそうもありません。


「ちょっと、ちょっと、ウォークマン、その、あれだ、なんだっけ」

「私的空間とか、それでしょ」

「それ、その空間って話も分からんでもないけど、

その前に音楽ってもの自体がそのころはそれほど身近なものになってたってことなのか?

まさか、私的空間つくって浪曲とか聞いてたわけじゃないだろ」

「えぇ、だいたいビートルズが60年代で、そのあたりから日本でもかなり音楽ってものが」

「でも、その、ウォークマンっていうと、イメージ的にノリがいいっていうか、

聞く人によってはただウルサイっていうか。そういう系だろ?

その時代にそれほど流行ってたのかなぁ。79年っていったらオレが中学のときだよな。

そんなに身近なものだったかなぁ」

「アンタは基本的に時代の流れに乗ってないんだから。音楽といいディズニーランドといい」

「ウルサイなぁ、もう。で、なんだよ、その、おまえたちの出した結論ってのは」

「あっ、エッ、その(なんだよ。大学の教授よりヒデエじゃん)だから、その、

企業っていうのは、モノを造るだけじゃなくて、時代をも創りうるというか」

「ほぉ、そういう結論か」


 
なんだか今回は生徒1人に外野が多数という構成、

 しかも生徒のレポートを聞くという姿勢もみられぬまま終わってしまったようで、

 これを新たなる展開と発展的にとらえてよいものかどうか・・・



  8月20日

生徒A「どうも勘違いしてたことがありまして、

ウーロン茶とか紅茶っていうのが輸出されるようになったのはずいぶん新しいころみたいですね」

講師「っていうと?」

「16・7世紀ごろらしいんですよ」

「って、日本でいうとなにの時代だぁ?」

「信長とか、秀吉とか」

「じゃあ、海路が発達したころだな。

じゃ、その前に陸路で伝わったってことはないわけか?シルクロードとか」

「いや、それは」

 電話が鳴る。

「ハイ、えぇ、ああそうですか、大丈夫なんですか?ハイ」

 
C氏からのようです。

「Cさん、すこし遅れるらしい。

いいのかなぁ、先週子供が生まれたばっかりなのに、奥さんほっといてよぉ」

 
今日は1対1か、しんどいなぁ。などと思っていた生徒A、ホッとする。

「あと、漢民族は3世紀ごろに、ネギとかショウガとかミカンとかを混ぜてお茶を飲んでたらしいんですね。

で、それがモンゴルとかチベットに伝わって」

「ミカンって、それ、皮か?」

「えぇ、だと思いますけど」

「なんだよそりゃ」

「あと、唐の時代に陸羽って人がお茶は単独で飲むもんだって言ってるんですよ。

で、それが主流になってきたっていうか」

「オマエねぇ。ちょっとそのメモ見せてみろ。あぁ?」

 
先生、Aの持つ資料を奪い取り、読む。

「なんだこれは、読んだ本をところどころチョイスしただけじゃねえか。

オマエ、ナニ調べてんの?」

「エッ、いや、お茶の本って少ないんですよね。困っちゃって」

「困るって、ナニを調べてんだよ」

「茶色を」

「おまえ、抹茶の色に興味を持ってたんじゃないの?」

 
C氏現る。

 Aにとっては救世主にも思えたことでしょう。

客分C「先生、この前、ハングルは1600年ぐらいだろうって話しましたけど、

ちょっと調べてみたら1447年だったようです」

「あぁ、そうですか、

ハングルは、さぁ、これでいきますよって、始めたものだから、ハッキリしてていいですよね」

「あの、ちょっと思ったんですけどぉ。赤とか青とか、そういう言葉もおかしいですよね。

色を表すための言葉ですよねぇ。赤とか青ってモノはないでしょ?」

「あっ、そうだよなぁ。オマエ、どうしちゃったの。

どうしてそんないいところに気づいちゃうわけ?熱でもあるんじゃねえのか。

そうかぁ、白とか黒もそうだよなぁ。

オシロイとかオハグロとかって言葉があるんだからずいぶん昔なんだろうなぁ、赤は紅だったんだろ?」

「朱色っていうのは赤ですか?」

「朱ってのは朱ってモノがあるんじゃねえの?朱って中国語だろ。

大和言葉じゃねえよな、明らかに」

「黄巾賊って言ったぐらいですから、黄もずいぶん古くからある言葉ですよね。

中国は方角とか色にそれぞれの意味を持たせいてますよね」

「となると、セキとかセイとかオウとして入ってきた漢字に大和言葉を当てたってことか?

茶色はどうも朱色の仲間っぽいよなぁ。

オレは、最初、色っていったら柿色とか水色とかうぐいす色とかねずみ色とか、そういうのイメージしてたからなぁ」

「あと、ボク、前から気になってたんですけど、

ブラックさんとかブラウンさんとかあるじゃないですか。あれ、黒とか茶ってことでしょ」

「そんなんあるかぁ」

「えぇ、たしかにミスターブラウンって教科書に出てきますよ」

「やだなぁ、それ。ブラックだホワイトだなんて、クロ、シロだろ。犬みてえじゃねえか」

「いや、それはどうか分からないですけど、ヘンだなぁって」

「オマエなんでそういう興味のあることを調べてこないの?」

「えぇッ!そんなのでいいんですか?」

「いいんですかって、オマエねぇ。

オレ何回も言ってるだろ、横へ逸れちゃっていいから興味のあることを調べろって。

だいたいこのメモはなんだよ。ちゃんと<茶>の本を読んだんですよって証拠のために残しただけのもんだろ。

一つも考えっちゅうか結論っちゅうか、なんてんだそういうの
―ずいぶん興奮しているようです―そういうのがないだろ。

全部、で?だからなに?ってものばっかじゃねえか。

いいかぁ。答を覚える勉強しか知らねえからしょうがないかもしれねえけど、自分で答を見つけるんだよ。

自分でこうかなって想像して、それを証明する資料を探すんだよ。

分かるかぁ。抹茶の色に興味を持ったらそれを追ったらいいんだよ。

外国人の名前に興味があったらそれを追ったらいいんだよ。

そうやって地に足のついた調べ方をしてると、そのうちのいくつかがつながってくるんだよ。

そこに自分の仮説ができあがる要素があるんだろ。

オマエ、英語自体にも興味があるんだろ。

場合によっちゃあ、日本語の成り立ちよりも英語の成り立ちのほうが調べやすいかもしれないし、

そのへんから調べてみろよ、なッ。まったくよぉ、人に言われなきゃできないんだからよぉ」

「まぁ、まぁ」


 さぁ、具体的な指示を出されたA君の次回のレポートに期待しましょう。



 10月15日

生徒A「どうも日本語で言ってる赤。大雑把に言ったときの赤は中国語では紅って言ってたみたいですね」

講師「言ってたっていうのは昔ってことか」

「ええ」

「で、赤って漢字は中国語にはないってことか」

「昔はなかったみたいですね」

「赤壁の戦いとかなかったか?」

「ええ、ボクもそう思って調べたんですけど、載ってなかったんですよねえ」

「そういう辞典みたいなのを調べたのか」

「ハイ、その、漢字のルーツみたいな、そういう」

「なかなかやるねえ」

「で、赤とか黒とか訓読みするヤツは大和言葉なんだろう、と。

で、どうもその大和言葉っていうのはマラヨ=ポリネシア語族と似た言葉が多いんです」

「なんだよ、そのナントカ=カントカって」

「オーストラリアの上の島辺りだと思うんですけど、

眼のことをマっていったり口がクツ、腹や頬はそのまんまハラ・ホホ」

「おもしれえな」

「だから、日本は先にポリネシア系の言葉が入ってきて、

その後にアルタイ語系の言葉が入ってきて大和言葉が成立したんじゃないかって」

「アルタイ語系ってのはモンゴルとかそういうのか」

「なんかそれが中国の南の方が多くて、あと、上の方にちょっと点々とあるんですよね」

「なんか、モンゴルの方の言葉は日本のテニヲハみたいなのでつなげた言葉みたいだよな。

そのなんだ、ナントカ=ポリネシア。その言葉にはテニヲハみたいのはあるのか?」

「いや、それはちょっとわかんないですけど」

「まぁ、あれだな、言葉だけが入ってくるわけはないんで、

人間そのものが海を伝って流れてきたと考えた方がいいな」

「ええ、それで思ったんですけど、

オーストラリアの原住民っていうのは、南アジアの人よりもアフリカの人の骨格に近いんじゃないかって、

だからその、昔は大陸って全部かたまってたんですよね」

「あぁ、そういうの見たことあるなぁ。

どう見たってアフリカの左下のくぼみは南アメリカがピッタンコだもんな。

あと、インド洋もオーストラリアが入りそうだし。

日本だって、北海道の何半島って言うの?南の、あれ、青森がすっぽり入るもんな」

「エッ、えぇ。その、あの、だから、オーストラリアには大陸が割れる前に人が移ってたんじゃないかって」

「おもしろいねえ。それ」

「で、オーストラリアでは原人の骨は見つかってないのかなって、

それをBさんに聞こうと思ってたんですけど。今日は来れないって」

「ハハハッ、そうか」

 
ノックの音。

「あの〜こちらで何か怪しいことやってるって報告があったんですけど」

「おぉ、よく分かったねぇ。近くに着たら連絡してくれたらよかったのに」

「あのね、先生。連絡くださいって留守電入れるのはいいんだけど、

連絡先も入れといてくれないと」

「あれッ、電話番号教えてなかったっけ?」

「もぉう、これだから。ボクは住所のみを頼りに来たんだから」

「前に話しただろ、ヘンなヤツ。

高校の卒業が迫ってるときに、青森の田舎だから、

俺の就職は市外だよ。とか、県外だよ。とか言い合ってるときに自分だけ決まってなくてミエはって、

オレは海外だよって言っちゃって、しょうがないからとりあえずアメリカに行っちゃったってヤツ。

たぶんそれ以来、日本に居る期間の方が短いんじゃないのかな。

だからちょっと日本語が不自由なんだよ。地元に居るときは津軽弁だからな」

万年生徒F「余計なことは言わなくていいの。Fです。よろしくお願いします」

「Aです」

「大変ですねえ、アナタも。こんなヘンな人とかかわり持っちゃって。お察ししますよ」

 AをねぎらうF。

「今な、こいつが面白いことを言ってな。

オーストラリアの原住民ってアジアの人よりずっと原人っぽいんじゃないかって。

だから、大陸がまだひとつだった頃に

オーストラリアや南アメリカに当たる部分にも人類は住んでたんじゃないかって」

「う〜〜ン、わかんないけど。その頃にイキモノが大陸の上に乗っかっていたのかなぁ」


 ここからはおかしなエピソードを持つFの紹介に終始されました。



 12月17日

 ずいぶん早い時間ですが電話がかかってきたようです。

生徒A「あの〜すいません、どうも今日は風邪がひどくて、できれば休みたいんですが」

講師「なにが風邪だよ。風邪ごときでウダウダ言ってんじゃねえよ。キチッとこいよ」

「いや、あの、下痢がひどくて」

下痢だぁ?そんなものは出かけりゃ直るんだよ。

場合によっちゃ、どこかの駅のトイレを借りるようなこともあるかも知らんが、

出かけることで気持ちがキリッとしてきて下痢も止まるんだよ」

「あっ、いや」

「人間そういうもんなんだよ。それを分かるためにも実践しろ。いいかッ」

「あっ、ハイ。あの」

「なんだ」

「もしかしたらちょっと遅れるかもしれませんが、がんばります」

「おう」

 4時からのはずが5時になっても現れず、連絡すらありません。

(あのバカ、何やってんだ。もう5時じゃねえか)


(もう6時になっちまうよ。なんであいつは自分から連絡ができないかなぁ)

 ブザーの音、Aが来たようです。

「バカヤロー。てめぇの少しは何時間なんだよ。今何時だと思ってんだッ。

こういうときはなぁ、今どこどこですって中間報告をいれるんだよ。

相手の心理を考えろよ。なんのためのケータイなんだよ。

まさか、心配なら向こうから連絡が来るだろう、とかって考えてんじゃねえだろうな」

「いや、そんな、すいません」

「で、どうだ、何回か、駅のトイレを借りたのか」

「えぇ、まぁ。でも、薬飲んできましたから」

「バカかテメエは。おまえ、なんのために来たんだよ」

「エッ、いや。カイコウ」

「バカヤロウ、薬なんか飲んだんじゃ。出かけりゃ直るって証明にならねえじゃねえか」

 今回はこのまま、延々と説教が続くようです。

 それにしても、薬を飲んでまで出てきた生徒を怒鳴るなどという教育機関が他にあるのでしょうか。


  2001年1月21日

生徒A「そんなわけで、いろいろやることが増えそうなんで、

月に1度ここに来たい気持ちはあるんですが・・・」

講師「ですが、なんだよ。それは来たくないってことか」

「いや、その、いろいろ調べるっていうのが・・・」

「なんだ、要するに何も調べないで来てもいいんだったら続けたいってことか」

「ハイ」

「そういうことか、まぁ、当初から調べて来ることが目的だったわけじゃないからな。

じゃ、とりあえず、何も決めずに集まる日時だけを決めるってことにするか」

客分C「それでいいんじゃないですか」


「ダンサー・イン・ザ・ダーク、見たんですよぉ。よかったですよ」

 どういう話しからか映画の話になっているようです。

「あぁそう、それ、見たいと思ってたんだよなぁ。

でも、そろそろたけし(北野武さん)の映画、やるだろ。

『ブラザー』そっちの方、期待してんだよな」

「あっ、バトル・ロワイアルって見ました?」

「いや、ああいうのは見ない。けっこうエグイ映像が多いんじゃないのか?」

「えぇ、まぁそうかもしんないですけど、ボクは面白かったですよ、それなりに。

本の方がいいですけどね」

「映画っていうか芸術っていうのは啓蒙的であるべきであって、

誤解をしたりして悪い影響を与えかねない映画っていうのはよくないよな。

自覚のすすめにも書いただろ。『マディソン郡の橋』」

「???」

「覚えてねえのォ。これですからね。

Cさん、こいつ、ただノベ〜〜って読み流してるだけなんですから、

もぉう、やんなっちゃう。で、全然覚えてないの?」

「えぇ、どんなんだったですか?」

「映画、見る気ある?ないんだったら説明するけど」

「じゃぁ、ないです」

「そう、じゃ、説明しようか。内容的にはいいんよ。

ダンナに4日間の浮気を隠し通した婦人が死を目前に、子供たちだけには真実を伝えよう。と、

その内容を日記だったかな。遺言としてだったかな。とにかく遺すわけよ。

で、それを子供たちが葬式のときに見つけて読むんだけど、

その子ってのは姉弟で、2人とももう家庭があるわけ」

「はぁ」

「2人とも何かしら問題を抱えてるわけ。お姉さんのほうは女だからね。

スーと認められるのよ。で、本人はっていうと、

今、離婚を考えてるんだけど、いい母親であろうと思うあまり踏みとどまってるんだよね。

でも、一人の女性としては幸せじゃないわけよ。

そこで、母親のそんな、女として生きた過去を知ることによって、気が楽になるんだろうな。

離婚を決意するわけ。

弟の方は、男だからさ。やっぱ、ショックなわけよ」

「はぁ」

「で、読んでる途中でその辺のバーとかに飲みに行っちゃうわけよ。現実逃避な。

それでも、飲みに行ったのが結局、育った町のバーなわけだろ、葬式だから。

で、母親に理解を示すおっちゃんとかおばちゃんとかの意見を聞いて戻って来るわけよ。

まぁ、立ち直ってな。で、それまでは、自分にとっては家庭ってのは重かったわけよ。

きっと父親だって母親の浮気にまったく気づかないってことはないだろうからさ。

どっかギクシャクしてたんじゃないの。

そういう父親を見て育てば、男にとって家庭を持つってことは、

ツマラナイっていうか、なんかその、わかんないまでもツライものなんだろうなぁ。

って感じしか持てなかったんじゃないかな。

それが、その母親の行為を認めることで、

たとえば、自分の奥さんを自分の奥さんとか、子供の母親という存在としてしか見てなかったけど、

その前に一人に女性なんだ。って認めることで、理解できる部分ができたんじゃないのかな。

奥さんや子供を抱きしめるシーンがあったと思う。これだけ聞いたらいい映画だろ?」

「えぇ」

「ところがこの映画の8割方が、若き日の母親の浮気の回想部分なわけよ」

「はぁ」

「この映画をいいって言ったのは女性がほとんどだと思うぜ。

不倫を美化して見がちだよな。

そうだ、ミヤダイナントカって大学教授だかの人、知ってる?」

「いや」

「アラカワキョウケイのデイキャッチにたまにでてくるんだけどさ。

ケッコウ、この人いいこと言うのよ。分析のしかたが、非常に無駄がなくていい。

この人がバトル・ロワイアルが話題になってたときに、

そういうよろしからずって思われるドラマとか映画を国とかが規制するってのは、

問題や限界があるって言ってたの」

「はぁ」

「大切なのは、そういうものを誰と見るか、だって。

そうだろ、たとえば、女の子がオレとマディソン郡の橋を見たら、

いやでもオレのこういう話を聞かされるだろ。

ところが女の子同士で見に行って、終わってからバーだか居酒屋だか知らないけど、

その辺で感想を言い合ってたらどうなる?

ああいうのあこがれるわよねぇ。ああいう刺激が欲しいわね。とかって、

それをお互いに確認しあって増幅しあっちゃうわけだろ。

女の人ってのは、男ほど、そのまんま空想の世界に入っちゃうってことはないと思うけど、

そう願ってもいいんだ。って気持ちで暮らしてたら、小さなキッカケでも傾きやすくなるだろ。

よろしからぬ影響を受けやすい状態になるんよ。そういう誤解を招きやすい映画ってのは、よくないよな。

オレはそういう意味で、マディソン郡の橋はよくない映画だと思ってる」


 
会講後、先生はダンサー・イン・ザ・ダークを見に行ったようです。

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